一.春と残像




 本当は“事故”なんかじゃなくて、“事件”なんだ。
 「都築風」という人間の体が悪意の刃によってズタズタに切り裂かれた、殺人未遂事件。
 それは高校一年の秋、夕暮れの学校内で起こった。 人気の少ない理科実験室で僕は、 顔を、 首を、 胸を、 腕を、 腹を、 足を、 背中を、 執拗なまでに大量の箇所を刃物で切られた。 不幸中の幸いか、すぐに倒れている僕を発見して119番してくれた人がいたので、一命は取り留めたが。 受傷部位や出血からいって、救急車が十数分遅れていたら、僕は死体となっていたようだ。
 ……鏡の中のフランケンシュタインを見る度、よくもまあ、なんでこうまでしたいほど、 犯人は僕のことが殺したかったのだろうと思えてくる。 思えてくる……だけだ。知りたくはない。 他の誰でもない自分に向けられた真っ黒な殺意の源にあるものなど。 知りたくない。想像しただけでも吐き気がする。
 “事故”ではなくて“事件”。 事件なんかじゃなくて、過失の事故であったならどんなに気が楽だったか。 今の僕なら、それがどんなに陳腐な過失であったとしても、喜んで許せるのに。
 ――犯人は未だ不明、捕まっていない。 なので当然、その凶行が無差別なものであったかどうかもわからない……けど。 僕を見つけたら、また、殺しに来るかも知れない。それが怖い。
 見えない不安と恐怖は常に心の隅にあり、折に触れて大きく膨れ上がって来て、僕の心を支配する。 しかし、悪夢となって僕を苛むことは無い。 悩みやトラウマがそのまま表れる……なんて、夢とはそんな分かり易いものではないだろうし。 僕にとって怖いのは、夢ではなくて現在進行形の現実だ。 犯人はまだ捕まっていないから。僕への凶行は過ぎ去った過去のみのものではない、 再び現実となり得る現在のものだから――――――。 怖がり疲れるのは目を覚ましている間だけでじゅうぶん。 だから僕は、ぐっすり眠るのかも知れない。 眠りにはただ、安息を求めるがゆえに。


 春の日差しで、自然と目を覚ます。体は不自然に近いくらいに行儀よく、布団の中で仰向けになっていた。ベッドの横に用意しておいたカバンを見るまでもなく、今日は始業式だということを悟る。
 学年は高校二年生になる。小、中学校と進級経験を積み重ねもすれば、こんな日を感慨深く思ったりしなくなるものなのだろうが、僕の場合は事情が違っていた。数ヶ月ぶりの、学校。傷だらけの見るに耐えない身体を、あんなにも人口密度が高い場所で、衆目に晒しに――――。
「おはよう、風ちゃん」
 居間のある一階へ降りていくと、台所からお祖母ちゃんが顔を出した。 炊き上がったご飯を蒸らしているのか、奥では白い湯気が上がっている。
「おはよう、お祖母ちゃん」
 起きぬけの顔のまま、僕も挨拶する。 まだ七時になったばかりなのに、窓から差し込む陽の光は暖かいどころか暑いくらいだ。 顔を洗おうと思い洗面所へと一歩二歩と歩みを進めるうち、大事なことにフッと気がついた。
 ――そうだ、洗面所に入るときは身をかがめないと。
 僕は入院している間に、なぜかとても背が伸びた。 それ以前に成長期らしい成長期が見られなかった反動とばかりに、ぐんぐんと。 170cmも無かった身長が、この半年足らずで180cmを超えた。我が家の洗面所の入り口は今の僕からしてみると丈がなく、通ろうとすると頭がつっかえてしまう。そのため、ボーッとしていると思い切り頭をぶつけてしまうのだ。 僕を急角度で見上げるようになったお祖母ちゃんは、「病院の食事が、うちで作るのよりも栄養があったのかしら」と 複雑な面持ちをしていたものだった。たぶん、そんなことはあんまり関係ないと思うけど……。 ついでにフォローをしておくと、お祖母ちゃんの作る食事のほうがずっと美味しいし、 栄養バランスだって普通に良いと思う。

 冷たい水で顔を洗って、頭をすっきりさせる。 少し前髪を濡らしたまま居間へ行くと、もう食卓は整えられてあった。 気難しい顔をして新聞を読んでいたお祖父ちゃんは、僕に気付いてそれを畳む。
「おはよう、お祖父ちゃん」
「おぉ。風、今日から学校だな。体の調子は大丈夫か」
 基本的に口数の少ないお祖父ちゃんも、さすがにそこは気にしていたようだ。
「うん、大丈夫だよ。もし具合が悪くなっても、すぐ保健室に行くから」
「うむ……無理はするなよ」
 椅子に座ってふと縁側に目をやると、カーテンレールに制服の掛けられたハンガーが下げてあった。 制服はあの時、僕の体ごと切り刻まれてしまい血塗れでグチャグチャになったはず。 だから、新しいのをお祖母ちゃんが用意しておいてくれたのだろう。 証拠に、背が伸びて肩幅が広くなった僕でも着られそうな――を通り越して、 異様なまでに大きなサイズのものだ。特注かと思った。
「お祖母ちゃん……これずいぶん大きいね」
 お茶を持って居間に入ってきたお祖母ちゃんに言う。
「そうねー、でも風ちゃん、これからもまたどんどん大きくなるかも知れないしねぇ」
「いや、もうたぶんこれ以上は……」
 言いかけるも、心配以上に期待のこもったお祖母ちゃんの表情を見て、言葉を切っておいた。
「さあさ、風ちゃん、食べちゃいなさい。もうすぐ勇美くんが来ちゃうわよ?」
 そう言ってお祖母ちゃんは、僕の分のお茶をコトリと置く。 居間の壁時計を見ると、時刻はもうすぐ七時半というところだった。

 僕はこの家に、父方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんとの三人で暮らしている。かつてはお父さんとお母さんも一緒に暮らしていたそうだけど、二人は僕が物心つかない頃に交通事故でこの世を去ってしまった。それから僕はずっと、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに育てられてきた。
 元々、五人で暮らすことを想定してお父さんが購入したというこの一軒家は、お年寄り二人と子供一人で暮らすには少し広い。お祖母ちゃんは昔から、「風ちゃんがお嫁さんをもらったら、その子も一緒に住もうね」なんて言っていた。それに対してはお祖父ちゃんまでもが「死ぬまでに風の結婚式と、曾孫の顔が見たい」なんて相槌を打つものだから、僕はその度に恥ずかしいようないたたまれないような気持ちになった。――お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのことは、本当に大好きだ。だから、二人の願いを叶えてあげたいというのは、当然ある。でも、あいにく僕は小さい頃から積極的に女の子と仲良くできるほうじゃないから、たぶん無理だと思う。
 それに、だいたい僕は異性に限らず、同性の友達もそんなに多いほうではなかった。いつもいつも、気の合う少人数の仲間と行動を共にする程度だった。あんまり人付き合いが達者でないのだ。自信を持って“親友”と呼べるような奴だって、幼稚園のときからの幼馴染一人くらいしか――……
 ネクタイを締めてブレザーを羽織っていたところで、チャイムが鳴った。
「ほらほら風ちゃん、勇美くんが来たわよ。急いで急いで」
 お祖母ちゃんがせかす。カバンを持って玄関のドアを開けると、そこではなじみのある顔が僕を出迎えていた。
「風。行くぞ」
「うん。勇美、おはよう」
 天然パーマがかった茶髪に黒縁メガネ、泣き黒子が印象的な風貌。こいつこそが、僕の十年来の幼馴染、天野勇美である。
「勇美くん、おはよう。風をよろしくね」
 僕の肩越しにお祖母ちゃんが声をかけると、どこか慣れた様子でぺこりとお辞儀をした。

 卯月の朝。僕と勇美は連れ立って学校へ向かう。三日前に一人で学校へ行ってみたときと変わらず、街路は桜に彩られていた。
 この街は桜の名所として、ちょっとした観光地でもある。ところどころに桜の並木道があるし、街外れのほうには広大な桜の庭園を所有した資産家が居を構えていて、酔狂にも、観光客のためにそれを開放していたりする。確かに、観光で訪れるぶんには、この街の桜の美しさは極上なのだろう。
 だが、生まれたときからこの街に住んでいる僕らにとっても、それは見飽きられるようなものではない。花は造りものの芸術品ではない、生き物だ。それを飽きる、などと言ってしまうのは、ある種の冒涜である。ただ、長く一緒に居すぎて、感覚が麻痺しているだけ。雪の季節が終わる頃から、知らず知らずのうちに春に犯され、気がつくとその空気にむせかえっているのだ。それを自覚するためなのかこの街に住む人間は、まるで初めてそこに訪れた者のように桜を眺めてみることがある。秋になると空が高くなるのを感じることができるように、普段から意識してよく眺めておくようにするのと、ちょっと似ているかも知れない。……そう思って、歩きながら空を見上げる。春の空は白く霞んでいて、絶対評価としても決して高くは感じなかった。
 隣を歩く勇美も、ボーッと景色を眺めながら歩いている。一見して優男風の勇美は、気の置けない幼馴染ではあるが、無口で飄然としていて、僕からしてみてもどこか掴みどころがない。でも、こいつが僕の事故……事件について、必要に迫った場合以外には口にしないのは、無口なせいではない。こいつなりに、気を遣ってくれているのだと思う。
 僕が面会謝絶状態からぬけたあと、お祖母ちゃん達や医師の人達を除いて、最初に会った人間は勇美だった。珍しく表情を辛そうに歪めている勇美を見ながらも、僕は、中学卒業以降の彼をサッパリ思い出せなかった。記憶の中の勇美は、僕と同じ地元の中学校の制服を着ている勇美だった。僕は、幼稚園からの幼馴染であるこいつとの思い出までも壊れてしまっていたことが、泣きたいくらいにショックだった。拠りどころの無さが。申し訳の無さが。ノドの奥に冷たく詰まったような感覚だった。
 そして今日から、勇美と僕は一緒に登校することになった。今までは、幼馴染でありながらも家はそれほど近くないため登校は殆ど別々、たまに一緒に帰る程度だったが。お祖母ちゃんが頼み込み、勇美もそれを快く受けたということだった。手間をかけさせちゃって悪いなと思いつつ、僕も正直安心した。
 校門へ向かう坂道に差し掛かる。学校敷地内に咲く桜を塀越しに見て、三日前にそこであったことを思い出した。あの桜の下で、女の子に出逢ったこと。髪の長い、桜のように凛とした女の子。
 「ええとさ、勇美。久世椎菜さんって知ってる?」
 あの女の子……椎菜さんは一年のとき僕と同じクラスだったと言っていたけど、勇美は僕とは違うクラスだったらしい。つまり勇美と彼女も別のクラスだったわけなので可能性は低そうだが、もしかしたらと思い、試しに聞いてみる。
 勇美は、何か聞き覚えがあるといった様子で何秒か視線を泳がせた後、
「……デコデコの片割れ」
 何やら、呟いた。
「ん? 何それ」
「……くぜ、しいな。うん、あれだな。うちの学年で一番頭が良い奴だ。定期テストの優秀者リストに毎回載ってる」
 学年で一番。基本的には他人に関心の低い勇美がこんなに半端無く言い切るあたり、本当にそうなのだろう。椎菜さんは、そんなに勉強が出来る子だったのか。
「確か去年はC組……風と同じクラスだったと思うんだけど。……まさか、思い出したのか?」
「いや。ちょっと前に、会ったんだ」
「会ったって、どこで」
「うん。三日前に、ちょっと散歩がてら学校を見に来たんだ。そこで」
 そう言って、ちょうど学校に到着した。校門をくぐり、そこから路地の奥まったところにあるあの桜をまっすぐに見つめる。それは近くに誰もいなくても、絶えずひらひらと花弁を舞い散らせている。“通り雨”ではなくて“通り雪”なんてのがあったら、あんな感じかもなと思った。綿雪の、通り雪。もちろん桜は通り雨と違ってそれ自体が移動しているわけではないが、まるでそこに意志がこもっていそうなあたりが、似ている。
「散歩って――ひとりで?」
 あ、まずかったかも、と思った。勇美は急に椎菜さんのことは取っ払って、“散歩がてら学校に”という部分に反応した。勇美の話し方は抑揚に乏しいが、何となく、機嫌が悪くなったのがわかった。
「あ、ああ……うん」
 少し決まり悪そうに肯定する。
「……風。お祖父さんお祖母さんに、あんまり心配かけるなよ」
 この上なく簡潔で、正しい忠告。
 三日前、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、僕の外出を凄く心配していた。そこを何とか言い伏せて一人で出てきたうえ、なりゆきとはいえ、内緒で学校にまで行ってしまった。よりによって、自分が切り裂かれた現場である、学校に。人気の無い現場に、しかも加害者はまだ捕まっていないというのに、一人でのこのこ出掛けていく殺人未遂事件被害者。怖がっているくせに危機管理意識が足りないのは、火を見るより明らかだった。
 ――――また、斬られたいのか?
 これからは、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんや……この無愛想な幼馴染にも心配をかけないように気をつけよう、そう思う反面。自分の身は自分で守れるくらい、強くなりたいと思った。

 校舎内へ入る昇降口は、直方体の校舎のうちでは東寄り、あの桜の木があるあたりよりも少し手前に位置していた。事件以来、初めて足を踏み入れる校舎。昇降口は校庭側と反対の路地側、両方へ開けている。体の前面には校庭側からの少し肌寒さを感じさせる風、背面には路地側からのぽかぽかとした陽射しが当たる。
 新学年なので靴はとりあえず前学年のときの下駄箱へ入れておくらしく、去年のクラスである一年C組の下駄箱がある場所に行って、自分の名前を探す。使い込まれていて少しぼろい木製の下駄箱を、端から一つ一つ見ていく。
 ――確かに、小さい箱の扉の側面に「都築 風」という名札の入った下駄箱が見つかった。だがそれを見ても、何の懐かしみも感じなかった。そこへ記されているのは自分の筆跡による自分の名前なのに、そうわかるのに、心はまるで他人の書いたもののように感じていた。
「風。二年の教室はこっちの二階」
 勇美が歩いていくので、それについて行く。
「校舎の中でもこっち側……西側には四階通して普通の教室が固まってて、東側には保健室とか図書室とかの、特別教室が固まってるから」
 歩きながら、半ば言いつけのような調子で説明してくれた。少し歩いて、階段があるところに到着する。
「階段はこの中央階段と、あと校舎端にも一つづつあるからな」
 淡々とした声を聞きながら、階段を踏みしめる。勇美がいてくれて良かった、安心した。一人で登校して来ていたらと思うと、恐ろしい。記憶が全く残っていないことに気後れしてしまって、新入生以上に戸惑い、途方に暮れてしまっていたかも知れない。……ただあえて欲を言うなら、少しだけ、この体を覆い隠して欲しく思う。だが、勇美は華奢で僕よりも10cm近く背が低いので、それは無理だ。僕の無残な体は、成すすべなく衆目に晒される。
「……何あれ? グロ……」
「びびった〜。刺青とかじゃないよね?」
「あ、あんな傷でよく生きてるな」
「わっ、あれ、ホラ例の理科実験室の……」
 さっきまで憂鬱さを入り混じらせながらもガヤガヤとにぎやかだった生徒達の喋り声が、ヒソヒソ声に変わっていく。僕が通るところが。階段が。廊下が。きっと、教室も。
 慣れている。退院してから街を歩くときにも、いつもこういう目で見られてきた。だから、それなりに耐性はあるつもりでいる。……でも、ここは学校だ。同じ年頃の生徒がたくさんいて、家にいる時間に次ぐほど長い時間、狭い空間を共有する。多少の堅苦しさもあれど、平穏な箱庭であるはずの、学校。そこで僕は後ろ指をさされてこの先二年も生活していくのかと思うと、正直、逃げ出したい。
 指をさす人達が憎いわけではない。以前の僕だって、今の僕みたいに傷だらけの人を見たらびっくりしていただろう。特に僕の事情なんか知らないであろう新入生には、驚かせてしまって申し訳ないと思う。
 かといって、自分自身が憎いわけでもない。ただ、自分がここにいて平穏な空間を侵しているという「こと」が、憎い。この消しようもない事実が。それを防ぐこともできないという、事実が。
 誰にも受け入れられないのなら、いっそのこと透明人間になってしまえないだろうかとも思うが、僕には助けてくれる勇美がいる。ただ横に居るという形で、僕を肯定してくれる幼馴染がいるから。だから僕は――つらくても、耐えて行こうと思える。
 中央階段を二階へと上がり、東側に少し行ったところに、学年会議室があった。その前方の壁には生徒への連絡事項などを掲示する板が取り付けられてあった。今日はこれに新年度のクラス発表の紙が貼られているようで、かなりの人だかりができていた。後ろの方に立って、掲示板を見ようとする。
「よく見えないな。風、見えるか?」
「うん、だいじょうぶだと思う。探すからちょっと待って」
 僕は背があるので高さは十分なのだが、なにぶん距離がある。僕か勇美の名前、どっちかが見つからないかなーと、目を細める。
 すると、すぐ近くの人だかりの中から、聞き覚えのある声がした。
「あっ、都築くん。ついでに私の名前も探してくれる?」
 同時に、人波を押し分けて、女の子が僕の目の前に飛び出てきた。
「あ……」
 消えそうな淡さなのに桜よりも深いピンク色の、長い髪が揺れる。鮮やかな既視感が、胸の奥から湧き上がってくる。雰囲気が少し違うけど、間違いない、この子は――
「えーと、椎菜さん」
 とっさに、確認の意味も込めて、苗字のような彼女の名前を呼ぶ。
「えーと、とかは言わなくていいのよ」
 羽根のようにふわりと軽く、おはようと僕に微笑みかけた。三日前に櫻の下で会った久世椎菜さん。こんなにも早く、何気ない形で再会できるとは予想してなかったので、正直面食らってしまった。今日は勿論制服で、前髪を頭の横にピンで留めている。
 グレーのブレザーに薄水色のワイシャツ、えんじ色のリボン、青系チェック柄のスカート。県内屈指の人気デザインだといううちの高校の制服を凛然と着こなしていて、柔らかい雰囲気ながらも優等生の貫禄めいたものが今日の彼女にはあった。
「都築くん、なんかその上着大きいね。新しいの?」
「うん、入院中に体がちょっと大きくなっちゃったもんだから……」
「ちょっとどころじゃないよー。凄く背大きくなったじゃない、この中でも頭一つ抜けてるよ。何cmあるの?」
「えーと、一番最近に測ったので183、だったかな」
「うわ、私より20cm以上高ーい」
 感心した様子で、僕の頭の高さまで手をかかげてくる。
 三日前は事情を知らずイキナリ会ったせいでよくわからなかったけど、椎菜さんって普段はこんなふうに親しみ易い人なのか、と思った。僕を見上げる彼女はどこまでも朗らかな笑顔で、僕もつられて顔がニコニコしてしまう。
「こちらは、都築くんのお友達?」
 椎菜さんは、僕の横にいた勇美の方へ顔を向ける。勇美は無表情のままそれを受け止める。
「うん。俺の幼馴染の天野勇美っていって……」
 そう紹介しかけたところで、今度は横から、別の女性徒が顔を出した。
「椎菜。いきなりいなくなるからどこ行ったのかと思った」
 その子は椎菜さん同様、人ごみにもまれつつ何とか体をこっちへ出した。髪は肩口までのソバージュで、少し背の高い女の子。短めのスカートからすらりと適度に細く長い足が伸びていて、学校指定の濃紺のハイソックスとの、普通よりワンランク上のバランスの良さを誇っている。
「あ、ルイ。ごめんごめん」
「別のところ行くならちょっと一声かけてよねー、もう」
 呆れ顔で椎菜さんをたしなめる。と、そこで僕と勇美のほうをちらりと見る。特に僕の傷跡に驚いているふうではないが、普通に気付いてきょとんとしている表情。様子からして椎菜さんの親しい友達のようなので、ぺこりと軽くお辞儀をしておく。
「あ、都築くん。こっちは私のほうの友達で、ルイっていって――」
 椎菜さんがこちらに言おうとした、その時。
 勇美は、彼女達をセットで見て
「……デコデココンビ」
 ぼそりと、つぶやいた。
 ――――デコデコ……?
「なっ!?」
「…………はぁ」
 椎菜さんはあからさまに反感のこもった声をあげ、その友達のルイさんは、何かを悟りきって諦めたかのようにため息をついた。

 聞いた話をまとめると、一年生の頃、僕と椎菜さんはC組で、勇美とルイさんはD組だったらしい。椎菜さんとルイさんは家が近所で、小学校のときからの腐れ縁なのだそうだ。
 そして二年生になった今年は四人とも同じC組だと、先ほどわかった。
 無二の幼馴染である天野勇美。事情を良く知ってくれている久世椎菜さん、その友達の三宅ルイさん。少しでもなじみのあるこのメンバーと一緒のクラスになれたことは、少なからず僕を安心させた。
 しかし――――
「天野君? 今後はその、デコデコってのは使わないようにね?」
「どうせもうかなり浸透してると思うけど……」
「もー、誰よこんなに広めたのっ! 知らない人にまで覚えられてるなんて!」
 椎菜さんはその呼び方が相当気に食わないらしく、シレッとしている勇美に猛然と抗議をしていた。一方のルイさんはと言うと、もう半分あきらめているらしく、「椎菜、うちのバスケ部の連中はみんな普通に使ってるよ。“昨日のお昼、デコデコ一緒に歩いてたでしょー”とか……」なんて、力なく例を示していた。
 椎菜さんとルイさんのコンビを表す“デコデココンビ”という呼称は二人の友人・知人のみにとどまらず、かなり認知度が高いようである。
 由来の一つは、おでこのこと。……確かに二人とも、おでこを出している。椎菜さんは前髪を横で留めているし、ルイさんも、後ろ髪と同じくらいの長さをしたそれを横に寄せている。そして、ちょっと失礼だが……二人とも、確かに、少しだけ、広い…………かも。
 もう一つの由来。それぞれが全く違った性格をしている二人組を指す“凸凹コンビ”という言葉があるのに対して、この二人はわりと似たもの同士だとかで“凸凸コンビ”といった造語としての意味も込められているそうだ。
 おでこ×2と凸凸のダブルミーニング。確かにうまくつけられた呼称なのかも知れないが、椎菜さんが怒りそうなので黙っておく。

 四人で、2年C組の教室に向かう。ドアを開けると、半分近くの席は既に登校してきていた生徒で埋まっていた。まだ電気のつけられていない教室は、朝の光のみを受け入れて薄明るく薄暗い。
 やはり大柄で傷だらけの僕はどうしても目立ってしまうようで、驚き、好奇、嘲り、哀れみなど様々な所懐のこもった視線が一気に浴びせられた。しかし、流石に同学年の生徒達は僕の事件の大体のいきさつはわかっているようで、「なぜこんな傷だらけなのか」という点については疑問を持つ人はいないようだった。ただ、当事者が退院していきなり登校してきているとは思っていなかったのだろう。
 しかし、視線を向けるかそらすかするだけで、僕に話しかけてこようとする人はいなかった。一年生のとき僕と特に仲の良かったような人は、このクラスにはいないのだろうか。僕は少し緩いブレザーの中で、居心地悪そうに肩を上下させた。
 勇美やルイさんは特に頓着しない様子で、自分の席を探している。
「都築くん、席見つかった? ランダムな順番みたいよ」
 椎菜さんは紺色のカバンを膝の前でぶらぶら揺らしながら、教えてくれる。
「そっか、ありがとう。えーと、俺は……あ、あった」
 教室の後ろのほうに、僕の席があった。僕は座高が高いから、後ろなのは都合いい。窓際の日当たりの良い席で、窓から東のほうへ身を乗り出せば、あの桜の木も見えそうだった。
 椅子の後ろにネームシールが貼ってあるのだが、どの生徒のものも同じ筆跡なので担任の先生か誰かが一括して書いたのだろうか。僕の筆跡とは全然違う、少し丸っこいくせ字だった。
「あ、結構近くね。私はあそこだよ」
 そう言って、椎菜さんは僕よりもいくつか斜め前の席を指差し、そこへ移動していく。その姿を追って視線を移した瞬間。片耳に、どさりと何かが落ちる音が聞こえた。
「?」
 振り向くと、僕を見て呆然と固まっている女の子が立っていた。足元には、その子の物らしきカバンが転がっていた。
「――――」
 整った顔立ちの、とても綺麗な女の子。その顔が、瞳に僕を映した状態で恐怖にひきつっている。また驚かせちゃったかなと一瞬思ったが、この反応は、他の人達とは少し違うように感じた。
 透き通った瞳から撃たれる、慄然とした視線。それは僕というモノ自体に対していると同時に、何か、僕を通り越して、

 自分自身の、業に、

「あ、都築く……」
 椎菜さんがこちらに何か言おうとする前に。
「――――こうさか、みう、さん……?」
 僕が、声を発していた。
「えっ?」
「……あれ?」
 目の前の彼女がビクッとするのに半拍遅れて、僕と椎菜さんは揃って間の抜けた声を出した。
「都築くん、なんで……」
「なんで俺、覚えてるんだろう……?」
 椎菜さんのみならず、僕本人までもがわけがわからず呆然とする中。彼女は、話すことと動くことを突然引っ手繰られてしまった人間のように、ただ立ち尽くしていた。春の陽は、窓際に立っている僕の体に遮られて、彼女には届かない。

 そう、彼女の名前は、香坂美雨という。






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