しらゆき(一)




 具体的なことはもう何も見えないように、黒くぐちゃぐちゃと塗り潰した記憶。
 それに巻き添えにされたいくつかの記憶が、淡く、よみがえってくる。
 小さな女の子が泣いている。確かにあたしと同じ制服を着ているはずなんだけど、あたしより背の低い、小学生みたいな女の子が。裸で、ぼろぼろで突っ立っているあたしに、暖かいシャワーをかけてくれていた。自分は制服を着たままで、お湯がはねて濡れるのも気にせずにあたしを洗ってくれる。それをあたしは、うつろな目で見ていた。何も感じなかった。
 痛かったね、怖かったねと言いながら、あたしの頭から顔、性器の周りにまとわりついていたどろどろとして臭いものを小さな手のひらとシャワーのお湯とを使って拭い落とした。そこまでしてくれているのに、あたしはほうけたままだった。
 涙をたたえた瞳、透き通った声、汚されていないつやつやの髪を見ていると、この子はきれいだなと思った。何も汚されていない。きれいな身体。きれいな心。
 もういいの。あたしはもう終わりなの。だからもうそんなに泣いたりしなくていい。ほうっておいて。
 このまま血が流れ続ければいい。それであたしは下半身からぐずぐずと崩れて、溶けてしまうんだ。
 あの子が行ってしまうと、あたしはその場にへたりこんだ。頭上から雨が降り、ずぶ濡れになる。湯気を出すくらいに温かく激しく、あたしだけに降る雨を見上げた。
「帰ったらすぐに2錠飲んでください。12時間後にもう2錠」
 ママに気づかれないように、洗面所で隠れて飲んだ。緊急用というのは副作用が出る確率が高いらしい。ひどい吐き気に襲われ、何日も寝込んだ。……これ、吐いてしまったらどうなるの。あたしのからだは。あたしのからだの奥ふかくに注入された生あたたかい液体はもう外に出すことができなくてあたしのからだの中に得体の知れない何かを実らせる能力をもっていてあたしのからだの中にあるなにかもまたそれと結びつくようにできていてあたしのからだはなんのためにあるの、あたしの、あたしの……。現実だったのか、幻覚だったのか。酸っぱい胃液が喉の奥からせり上がってくる感触がして、寝床で悪寒に震えながら、数え切れないくらい何度も何度も飲み下した。吐いてしまうのが怖かった。新たな恐怖で涙が出て、こめかみがずきずきと痛んだ。
「あたしが死んでも、つかさが代わりに生きてくれるよね」
 学校のプリントとスポーツドリンクを部屋まで持ってきてくれたつかさの背中に、小さくつぶやいてみる。
「ん? 何か言ったか?」
「……ううん」
 つかさは胸元までずり下がっていたあたしの布団を、顎のうえまで引っ張り上げた。
「もう寝れ。早く元気になれよ」
 そう言い、ぱちんと電気を消し、部屋から出て行った。
 薄闇の中で、小さい頃から見慣れた白い天井を見上げて、あたしは歯を食いしばって泣いた。
 つかさ。あたしにこの先、幸せを感じられるような日なんて来るのかな。ねえ、教えて――


*


 重い扉を開けると、部屋の中は既に明るく、暖房が効いていた。
 涙でしびれた瞳に映る、玩具箱のような狭い空間。暖色系の壁と天井。ベッド、テーブル、テレビ、浴室への扉、はめ殺しの窓。
 あたしは今、自分が嬉しいのか恐ろしいのか、よくわからない。ずっと常に身にまとってきた鎧を急に脱がされて歩いているような感じで、足元がふわふわする。
 あたしの手を握る太い指の親指だけが時折撫でさするように甲を滑る。
「つばさ」
 無言のあたしに、静かに呼びかける声。
「……いい?」
 声の主のほうも向かず、ふてくされた様に肯いてしまう。本当にふてくされているわけではない、気持ちを、持て余しているのだ。
 浴室から、湯船にお湯を溜める威勢のいい音が漏れ聞こえてくる。蛇口をひねって間もないのに、あたしはもうお湯が溢れてしまうことを頭の片隅で心配していた。そのくらい、好きな人とのキスに囚われていたから。
 ベッドの脇に立ったまま、あたしは顔を上げ、風は頭を低くして、あたしの肩にそっと大きな手を置いた。
 唇を互いに優しく食むように、横から、縦から、斜めから、柔らかなそれらをかませ合う。好きな人の唇は美味しい。味なんて無いのに、そう思う。お互いの思惑が噛み合わずにズレてしまうことも時折あって、唇という的を外して相手の頬に耳に鼻先に触れてしまうたび、触れられたほうは甘い吐息を漏らした。
 一度顔を離したあと一拍置くか置かないかのうちに正面から唇を押し付けられ、舌を割り込まされる。生々しい、他人の舌のざらつきと湿り気を、あたしは自分のそれでもって迎え入れる。風の匂いがする、冬のセーターをぎゅっとつかむ。
 ――あ、お風呂のお湯……
 もう思考は途切れて、唾液の交換に耽るしかなかった。
 

 あたし達は、普通の恋人同士ではない。
 世間一般で言う恋愛というもののモデルからは大きく逸脱した、滅茶苦茶なルートを辿ってここまで来た。
 最初は好意も何も無いまま、意にそぐわない形で、苦痛に満ちた形で……性器を繋げた。
 次に、その意図が自分でもわからないままに、フェラチオだけの関係になった。
 暫くして、キスをした。してしまったのだ、あたしが。
 そうしてやっと、風に、抱きしめられて「好きだ」と言ってもらえた。こんなあたしに、言ってくれた。
 いいのだろうか、と今でも思う。こんなに大きくて優しい風が、こんなにちっぽけで性格が悪くて愛想が無くて何やっても中途半端な結果しか出せないあたしに、想いを捧げてくれるなんて。本当に、後悔しないの? 言っても仕方ないことを心の中で問いかけてみる。でも、そんな後ろめたさも拭い去るように、風はあたしの唇を吸い、身体を包み込むように抱きしめた。
「……どうしたのよ」
 あたしに頭をもたせかけたまま動きを止め、大きく息をつく風を覗き込むと、目を閉じて、ひどく安心したような気の抜けた顔をしていた。
「変な顔……」
 すると風は少しだけ恨めしそうに、目だけをこちらへ向けた。
「……だって、夢みたいだからさ。こんな日が来るなんて……」
「……それは……」
 こくりと頷く。
「これまで、ずっとつばさに、その……舐めてもらってても、身体を抱きしめることはできなくて、つらかった。もうこの先ずっと、こういう繋がり方しかできなくて、目の前のつばさを抱きしめられないで終わるのかと思うと、苦しかったよ」
「…………」
 風はもう一度目を閉じ、あたしを抱く腕にそっと力を込めた。
「ずっと、こうしたかったよ」
 あまりに切実そうで、泣きそうなその声色に、鼻の奥がつんとして、目が潤んでしまう。
「馬鹿……あんた一体、あたしなんかのどこがいいのよ」
 責めるように聞いてしまって、沈黙が流れる。
 またいつものように、卑屈な気持ちがこぼれてしまった。
 さあ、言ってみなさいよ。わかってるの? あたしなんてもし少女マンガに出てくるとしたら、せいぜい主人公に意地悪をする、雑魚の当て馬ポジションなのよ。あんたみたいなのが、あたしのどこに惹かれたって言うの? ほら、言えないでしょ? 言えないよね、やっぱり。……言ってよ――――
 瞬間、耳たぶに軽く口づけられて、首筋までぞくっと粟立った。
「全部」
 耳元で囁く。
「……っ、は――?」
「全部だよ。つばさ」
 今度は正面から、目を見て言われた。
 にわかに顔が熱くなる。
「な、なな、何言って……」
 引きつり笑顔でその視線を振り払うも、追撃のキスをまんまと受けてしまった。
 

「お、お風呂もう出来たんじゃないかしら。先に入るわよっ」
 甘い敗北感を振り払うように、風の腕をすり抜け、そそくさと浴室へ向かう。
 ここまで来てもあたしは素直に可愛くできないのかと、自分でも呆れる。……こういうあたしも、風は全部好きってことなんだろうか。そう思うと、どうしてか唇を噛んでしまう。湧き上がる感情を、どう噛み殺していいかわからない。
 ふと、ベッドルームから脱衣所までは仕切りも扉も無く一続きになっていることに気づく。あたしがここで服を脱いでいたら、向こうには丸見えになってしまうってことだ。よく雑誌や何かで見るガラス張りのバスルーム……とまではいかないけども、どうしてラブホテルというのはこう、こちらの羞恥心を茶化すかのような造りなのだろう。初めて入ったラブホテルというものは予想以上にミもフタもなくて、ちょっぴり惨めな気分になってしまう。一度服を着たまま湯気のこもる浴室へ入り、お湯がぎりぎりまで溜まってしまったバスタブの蛇口を閉め、外へ出る。
 振り向くと、風はぼーっとしてこちらを見ていた。あたしと目が合っても、特に慌てる様子も無い。
「……なに見てんのよ」
「えっ……見ちゃいけないの?」
 きょとんとして答える。
「あ、あのねえ……恥ずかしいでしょ」
 言いながら、これからもっと凄いことをしようとしているのに、ともう一人の自分が呆れるように言う。確かにそうだ、けど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 風はあたしが本当に嫌そうにしているのを察してか、素直に後ろを向いて、ベッドの向こう側に腰掛けた。その背中を、今度はあたしがぼーっと見つめてしまう。大きくて、誠実な背中だと思う。威圧感があるのに、どこか頼りなくて繊細で、優しい。
 気を取り直し、ゆっくりとセーターを脱ぐ。スカートを下ろし、タイツも脱ぎ、キャミソールも脱いだところで、ブラジャーとショーツだけの自分の姿が脱衣所の鏡に映る。久世さんや、風の隣の席の香坂さんとは大違いだ。コドモみたいとまでは言わないけれど、いまいちメリハリに欠けた、面白みの無い身体だ。下着を脱げば、もっとつまらない見た目になるだろう。そう思って、再び唇を噛む。
 かつて毎日のように風にフェラチオをしていた時、あたしは自分から胸を出して見せていた。いくらささやかな胸でも、少しくらいは射精の助けになるかと思っていたから。でも、胸の部分だけを見せるのと、裸を見せるのでは全然違う。うまく言えないけれど、誤魔化しが利かないのだ。
 今日は、こんなことになるつもりで風の家に行ったんじゃなかった。ただ、風のそばで過ごせる最後の日、大切な日だと思って、見せるわけでもないけれど自分の持っている中で一番とっておきの下着を着けてきた。クリーム色に、白の小花柄の刺繍の入った可愛いブラジャーと、お揃いのショーツ。これを着けていれば少しくらいは見栄えがするだろうか。少しでも、綺麗な身体だと思ってもらえるだろうか。
「……つばさ?」
 動きを止めたまま一向に浴室へ入る気配の無いあたしに、風が向こうを向いたまま、声をかける。
 あたしはしばらく逡巡したあと、意を決して、言葉を搾り出した。
「…………あの、ね……」
 かすれた声をコホンと咳払いして整える。
「下着、見る……?」


 風が、振り向いた。と、思う。ゴソゴソという気配がしたから。
 あたしは下着姿で突っ立ったまま下を向いているから、風の顔は見えない。どんな顔でこちらを見ているのだろう。
 自分の視界には、大して出っ張りの無い胸。でも、お気に入りのブラジャーが寄せて上げて、少しは見栄えよくしてくれている。あたしは何をしてるんだろう……こんなの見せたって、あとで余計に裸を見せづらくなるだけなのに。
「つばさ」
 呼びかけられて、恐る恐る、顔を上げる。風は、少し離れたベッドの手前側に座って、目を細めてあたしを見ていた。身体が熱く、でも、何だか情けない気分になる。臍の前辺りで手を組んで、柄にも無くまごつく。
「ど、どう? ……可愛い下着でしょ?」
「うん。つばさ、可愛い」
「あっ、あたしじゃなくて……」
 胸を出してフェラチオしていた時よりも、ずっと恥ずかしいのはなぜだろう。視線をうつろわせ、組んだ手を爪が食い込むくらいにぎゅっと握り合わせる。
「下着もつばさに似合ってて可愛いよ。もう、めちゃくちゃに抱きしめたくなるくらい」
「……っ、まだだめ……お風呂入ってからじゃなきゃ」
 ぶんぶんと頭を振りながら言うと、腰を浮かせかけていた風は少し残念そうに唇をとがらせた。
「じゃあ、その下着を脱がせるってのは、だめ?」
「――は?」
 素で聞き返してしまった。
「な、何が“じゃあ”なのよ。譲歩してるつもりなの?」
「いや、ただ脱がせたいなーって……」
「答えになってないわよ、バカ!」
「ご、ごめん」
 きつく言われて、しゅんとする風。
 でも、脱がせるなんてだめ、まだ心の準備が出来てない。裸もばっちり見られてしまう。きっと、脱がせた途端にボリュームダウンしたあたしの身体に内心がっかりされるのよ。やだ、やだ、絶対やだ。
 一方で、風の願望を叶えてあげたい気持ちもある。お預けをくらった犬みたいに従順に大人しくして、でも目は物ほしそうにこっちを見ている風に、喜んで欲しいと思う程度には絆されている。
「……あ、あのね」
 風が申し訳なさそうにするのを打ち消すように、切り出す。
「見えないようにしながらなら、いいわよ」
 何を言ってるんだろうあたしは、と思いながら。
 

 脱衣所の床に置いてある大きなかごの中には、二人ぶんのバスタオルと、ハンドタオルが入っていた。ハンドタオルのうちの一枚を風に手渡すと、彼はそれを巻いて目隠しにした。そしてあたしは彼のすぐ前に立つ。
 ただ裸を見られたくないからこうしただけなのに、目隠しをした恋人を目の前にすると自分がひどくアブノーマルなことをしているように感じられて、今更くらくらしてくる。いいのかな、こんなことして……。
 風が手を恐る恐る手を伸ばし、あたしの腕に触れた。そのまま、軽くつかむ。そこを足がかりにして、あたしの身体をたどる。全身の産毛が逆立つような感触がして、あたしはぶるっと震えた。今のが風に伝わっていませんようにと願う。
 風の右手はあたしの背中をなぞり、左手は前のほうをたどる。ブラジャーの肩紐に指が引っかかる。親指が、乳房の上部に食い込む。
「ばか、何してるのよっ。下着、脱がせるんでしょ」
「あ、ごめんっ……ホック、そう言えばどっちにあるのかと思って」
 どっちに、とは、フロントホックかもと思ったということだろうか。変なところで、男子っぽい知識の偏りを持っているのねと思う。
「さっき見てなかったの? ……あのね、フロントホックのブラ着けてる子なんて、そうそういないわよ。胸の間にホックが当たると痛そうだし暑いときはべたべたしそうだし、そもそもそんなに売ってないから」
「そうなの? ……そうかあ……」
 納得するような声を出しつつも、左手をどかそうとしない。右手のほうは後ろのホックのそばにたどり着いているけど、はずそうとはせず、何か手持ち無沙汰みたいにブラジャーの線を撫で続けている。 ……わかっていたけど、こいつ。自覚があるのかないのか、ほんと、ムッツリスケベだわ。
 心の中でため息をつく。こんな状況で欲求を駄々漏れにする風に呆れながらも、怒る気になれない。可愛いとすら思ってしまう。他の痴漢親父やセクハラ男には絶対にこんなこと思わないのに。惚れた弱みと言うのは、偉大だ。快不快を時折ひっくり返してしまう。
 あたしは黙ったまま、留まっている風の右手を取って、乳房に移動させた。目隠しをした風が、小さく息を呑む。
「……あの……いいの?」
「……好きにすれば。目隠しははずさないでよね」
 許可すると、風は最初は控えめに撫で、だんだんと激しく、胸をまさぐった。左手も前に持ってきて、ブラジャーの上からわしわしと揉んだ。
 骨ばった大きな手を夢中で動かし、目隠しをしたままはあはあと息を荒くしている風が、無性に愛おしく感じられてくる。いいこいいこ、したくなる。身体があったかくなってくる。
 激しく揉まれるものだから、ブラジャーがずれてカップと乳房の間には思いっきり隙間ができていたのだけど、風はそれにも構わず揉み続けている。昼間、風の部屋でセーターの上から触られたときも気持ちよかったけど、今はもっと気持ちいい。そして、少しだけ怖い。
 と、思ったとき、風が何かにせき立てられるように両手をあたしの背中に回した。殆どあたしに抱きついているような格好になる。そして、もどかしげにホックの近くを左右に引っ張る。
「風、落ち着いて。壊れちゃう」
 思わず、彼の後頭部を撫でてしまった。硬い髪の毛の感触がする。風は、ぴたりと動きを止めた。
「真ん中のとこで小さい金具で引っかかってるから、そこ、両側から内側に押せばいいから」
 なだめるように言うと、風は無言で言われたとおりにした。ぷちん、とホックがはずされる。胸の上にかぶさっていたカップと肩紐がゆるみ、殆ど乳房が見える状態になる。うう、小さい。ブラジャーをしっかり着けていたときよりも、ぐっとボリュームダウンして見える。
 そんなあたしの内心も知らずに、風は手探りで肩紐を下に引いた。あたしの腕を通ってするすると下がっていき、胸は丸見えの状態になる。
 風はあたしの胸の位置を確認しようとしたのか、突っ込むような形で顔を両胸の間に飛び込ませた。そして、乳房に頬をなすりつける。
「ひあっ……!」
 乳房に、乳首に、髭の剃り跡のある男の子の頬のざらつきを感じ、声を出してしまう。痛いようなむずがゆいような、いやらしい感触。さっき揉まれている時から乳首は立っていたと思うけれど、今ので更に固くなってしまった。それを意識して、自分の頬が熱くなる。
 風は構わず、すりすりと乳房に頬ずりしてくる。強く押し付けられた乳房がたわむ。乳首がどんどん敏感に、髭の剃り跡に反応してしまう。風がそこで深呼吸をすると、汗臭くないかな、と不安になる。……それが嫌で、お風呂に入るまではあまり直接触られたくなかったのに。冬場だし大丈夫だとは思うけれど、やっぱり少しは気になってしまう。でも風はそんなあたしの不安をよそに、あたしの胸元に溺れ続けていた。
「ああー……」
 頬をぐにゃりとあたしの胸に押し付けた状態で、まるで疲れて帰ってきてお風呂に入ったひとみたいに、気持ちよさそうな間延びした声を出す。
 なんだか、涙が浮かんできてしまう。こんなに粗末な胸なのに、すりすりしてくれてありがとう。凄く嬉しい。でも、見えてないからね、あとで見て、がっかりさせたらごめんね。そう思いながら、風の頭を撫で、胸に伝わる甘い刺激に喘いだ。
 やがて風は頬を離し、何かを咥える寸前のように口を開けた。
 彼が何をしたがっているのか瞬時に悟ったあたしは、彼に反応してか、乳首をつんと尖らせてしまう。その即物的な反応に自分でも驚く。風を可愛がりたいという気持ちが、明らかに身体と連動していて、神秘的にすら感じられる。
 おずおずと彼の口元に片方の乳首を差し出すと、彼は迷い無くそれを口に含んだ。
「ふぁ……」
 ざらざらの刺激で極限まで敏感になっていた乳首を、濡れた感触が包む。ちゅっ、ちゅっ、と可愛らしい音を立てて吸われる。そこから、快感が身体の奥に浸透していく。乳首に圧力がかかるたび、まるでポンプみたいに、身体中に心地よさが広がっていく。どうしよう、気持ちいい。好きなひとの口でおっぱいを吸われると、こんなふうになっちゃうものなの?
「あん……う、うぅん……」
 じんじんと、股の間が疼き熱く火照るのを感じる。
「あ、ん……風……きもちい、あっ、あっ……」
 へんな声が出てしまう。ばかみたい、恥ずかしい。
 風は一定のリズムで乳首を吸った後、口に含んだまま舌で転がし、一度口を離した後、舌を出してべろりと舐めあげた。
「ひんっ……!」
 舌でちろちろとくすぐりながら、右手をもう片方の乳房に這わせ、ひとしきり揉みしだいた後、乳首をつまみあげる。
「や、両方なんて……」
 あたしが戸惑うのにも構わず、つまんだ乳首をくりくりといじくった。あたしの身体はびくんと跳ね、生理なんじゃと思うくらいに、下から液状のものが溢れるのを感じた。
 しばらく風はそれらの動きを組み合わせ、あたしの胸を弄り倒した。よく飽きないなあと思うくらい、執拗に。でも、あたしだって、風が与えてくる快感に飽きることはなかった。何時間でもしていて欲しいとすら思った。
「風……あたしの、おっぱい……おいし……?」
息を乱しながら問うと、風は乳首に吸い付いたまま、泣いてるみたいな切ない声で「うん」と言った。臍の下辺りが、きゅうんと締め付けられるのを感じる。思わず、風の頭をかき抱いてしまう。
「い、いっぱい、のんで。風の好きなときに、好きなだけ……」
 自分がこんなことを言うなんて、自分でも信じられない。でも、うそじゃない。あたしの、奥のほう、底のほうから出てきた言葉だった。
 好き。好き。男の子のことをこんなに苦しいくらい好きだと思うなんて、初めてだ。
 すると風は身体を起こし、あたしを引き寄せるようにしてキスをした。目が見えてないのに、不思議と、ぴったりと唇が合わさった。
「ん、む……」
 さっきの乳首への吸い付きを、唇へと変えたようなひりひりするようなキス。実際、一時解放された乳首はひりひりと熱をもっていた。
 風の唇はずっと使っていたせいであたしよりもびしょびしょに濡れて柔らかい。でも、それ以上にあたしのショーツは濡れていた。
 唇を離すと、風は息をつき、
「好きなときに、って、学校にいるときでもいいの……?」
 なんてことを言ってきた。
 ばか。っていつものあたしなら返すところだけど、今はあたしもばかになっていて、
「うん」
 即答していた。ばか。
「学校でつばさのおっぱい飲みたくなったら飲んでもいいの?」
「うん。いいわよ。飲みたいって言いに来て」
「皆が見てるところでもいいの?」
「うん……あ、ううん、だめ」
 流されて了承しかけて、あたしは慌てて首を振る。
「風以外の人に、胸見られたくないから」
 そう言うと風は、目が見えないので口だけで笑った。
「……僕もそうだ。つばさの胸を、僕以外の人間に見られたくない」
「だったら最初から言わないでよ、もう」
 今度はあたしから、おしおきになってないおしおきのキスをする。そうしてそっと唇を離した時、風は、あたしのわき腹の辺りを指でなぞった。骨盤のラインをたどり、ショーツの両脇を探し当てる。指を引っ掛け、そっと下におろす。太ももまで下ろされたところで自分の下半身を見下ろすと、ぺたっとした恥丘があった。中1くらいからあまり変わっていない中途半端な濃さの茂みが、外気に晒される。股の間の雫が、ショーツの滲みのところまで糸を引き、途切れた。風はひざまづき、それを目の前にして――目隠しをしているのだから見えていないんだけど――動きを止めている。見えていないのに、見られたこともあるのに、あたしは猛烈に恥ずかしくて、茂みの裏の辺りがうずうずするのを感じる。
 やがて風は、前面からべったりと、あたしの恥丘に顔をつけてきた。その場所から、かゆいような感じが身体を上ってくる。
「ふ……う……」
 風は茂みに鼻をうずめ、上下にぐりぐりと動かす。下に行った時に、鼻があたしの小さい突起に当たり、「あっ」と声が漏れてしまう。それにも構わず風は、唇であたしの割れ目を探り、閉じたそこに舌を食い込ませた。
「やっ――」
 思わず、風の頭をつかむ。でも彼はそれを振り切るように、差し込んだ舌を上下に動かした。くちゃくちゃと音がする。
「や、だ、まだ、洗ってないっ……汚いから、やめ……」
 突起に、柔らかい舌が這いずる感触。やだ、気持ちいい、また、濡れちゃう。茂みを、激しい吐息が撫でる。
「ん……おいしいよ、つばさ……」
「やだ、ばかっ……」
 風は鼻先までを割れ目にうずめ、すっかり熱くなった秘所に舌を伸ばした。舌先が入り口を刺激する。
 普段、膣の入り口なんて意識しないからよくわからないはずなのに、舌でいじられると「ここなんだ」とすぐにわかる。
「あ……そ、そこはだめ……」
 中学生の頃に自慰を覚えて、自分の足の間をまさぐることはあったけれど、触れるのは突起ばかりだった。膣は、何だか怖くて触れなかった。しかも、突起をそっと押すのを何度か繰り返してすぐにやめてしまう程度の自慰だったから、激しく触れられるのには慣れていない。イッたことも、きっと無いのだと思う。このまま風に触ってもらってたら、あたしはどうなってしまうのだろう。そう不安になっている今の時点で既にあたしは、口をだらしなく開けてはあはあ息を荒げてしまっていた。
 汚くない? 変な匂いとか味とかしない? 聞きたいけれど、聞けない。あたしはこれまで数え切れないくらい風に――綾人にも――フェラチオをしてきて、洗ってない状態ですることが多かったから、大体どんな感じかはわかる。でも、女の場合だと性器が内側に入り込んでるぶん、どれだけ余計に汚いのかと思うと惨めな気持ちになって――それでもそんな懸念も何もかも、風の舌は舐めとってしまう。うそみたい。好きな男の子に、こんなこと、してもらえるなんて。
 と、そんなことを思っているうちに。
 風の目隠しのタオルがゆるみ、下にずるりと落ちる。
「あ――――」
 最初目を閉じていた風は、それに気づいて眩しそうに薄目を開ける。そして、目の前にあるあたしの身体を見上げる。
「きゃ……」
 目撃されてしまう。
 太腿まで下ろしたショーツも、口元とぐちゃぐちゃに濡らし合った陰部も、薄い茂みも、たよりない腰も、小さい胸も、だらしなく口を開けているあたしの顔も――
「きゃああああっ!! 見ないでよっ!!」
 風の頭を掴んで無理やり下に向ける。風は「うぐぐ……」とくぐもった声を出した。
 あたしは素早くショーツを脱ぎ捨て、
「もう、お風呂行く! あ、あたしが身体洗い終わったら呼ぶから、それまで待っててよね!!」
 と一方的に叫んで、浴室に急いだ。取り残された風も顧みずに。


 備え付けの椅子に座り、てのひらに備え付けのボディソープを泡立て、撫でるように身体を洗う。家の石鹸とは違う、柑橘の香りがする。家のお風呂ではいつもスポンジを使っているので、ホテルや旅館でこういうふうに手のひらで洗うのはいまいち慣れない。特に、股間を自分の手指で直接洗うのにはちょっと抵抗がある。
 でも、今日は、よく洗わないと。さっき風に舐められた自分のくぼみに、曖昧に指を滑らせる。すると、身体がびくりと跳ね上がる。さっき舐められた快感が、帯電みたいにまだそこに留まっていて、ささやかな刺激を受けて反応してしまったのだ。
「やだ……」
 身体が火照る。魔法みたい。
 声が出そうになるのを堪えながら、ふにゃふにゃしたひだの両側、突起とその周辺、中まで入れずともちょっと驚いてしまうくらいに奥行きのあるくぼみを、泡で慰撫した。そして、そそくさとシャワーで流す。もっと気持ちよくなることもできたけど、今日は、自分の快楽の伸びしろを風のために残しておきたかった。
 息を整えながら、鏡を見る。自分の太腿と膝が、妙に存在感を持って映し出される。
 自分の身体なのに、どこかグロテスクで――
 ――ふと、胸の奥がひやっとする。
 唐突に、息が詰まる。指は止まり、浴室の中にぴちゃんと水の滴る音がする。
 “あのとき”以来、幾度となく襲われていて、でも夏より先には寄せては返すたびにわずかずつ弱くなっていた、感覚の波を思い出す。
「いや……」
 口元を押さえる。座ったまま、太腿に顔を押し付ける。膝をかき抱く。
 この指が触れた自分の性器。そこは、かつて、「使われ」たのだ。あたしの身体が、あたし以外の誰かに。
 あたしがそれまでの人生で使ってきた数限りないモノ――ペンとか、はさみとか、スプーンとか、雑巾とか、そういったモノを「使う」時と同じ無頓着さ、傲慢さを以て、そして容赦の無い暴力性を以て、あたしは「使われ」た。
 人間として生きてきたことが急に不確かになって、あたしのそれまでは全部まやかしだったのかと、全てががらがらと崩れていって。「使われ」るのがあたしの本分なのだと、否応無くこの膣から乱暴に直接叩き込まれた感じがして、あまりにも、あまりにも惨めで。外側も内側も精液にまみれた「使用済み」のあたしは汚くて汚くて汚くて。形の無い何かに対する激しい憎悪と、恐れと、無気力と、消えてしまいたい衝動との間で地獄を這いずった。心配してくれていた、つかさとママの顔も見られなかった。
 ううん、たった今あたしを支配して首を締め上げているのは、それじゃない。それ自体ではなくて――あの時あたしを「使った」のが、それで快感を得たのが、迷いも見せず無責任にあたしの中に精液を放出したのが――今、あたしの好きな人であるという事実だった。
 あの地獄のことは、本当に忘れたい、失くしたい。自分を犯した主を結局好きになったのだから良かったじゃないか、あの時のことも遡って好きな人に愛されたことにして無理やり納得してしまえばいいじゃないか、認識を変えてしまえばいいじゃないかなんて、悪魔が囁く。でも、そんなこと出来ないし、絶対にしたくない。どんなに逃げてしまいたくても、人生の時間を損なうとしても、苦しみは苦しみなのだ。そこを捻じ曲げたら、最後に残った自分のプライドのかけらも全て投げ出してしまうことになる。
 涙がにじむ。切り離すの。切り離すしかないのよ。あの時と、今夜とは、違うの。
「風……」
 塩味に濡れた顔を上げ、声に出さずにつぶやく。

今夜は、もう二度と、あたしを使わないで。
抱きしめるように抱いて。
キスするみたいにいれて。
あの時のことを塗り潰して――――

深呼吸をして顔をぬぐい、ゆっくりと立ち上がり、小さく開けたドアの隙間から風を呼んだ。


 くもりガラスになったドアの向こうに大きな身体が見えて、あたしは浴槽の中で後ろを向く。顎までお湯の中に沈め、膝を抱える。
 風が入ってくると、少しだけ、沈黙が流れた。自分の伸び始めた髪の毛の先が、お湯に揺れているのを感じる。暫くして、シャワーの音が聞こえ始めた。
 あたしはひどく緊張していた。今夜、あたし達は幸せに「初体験」を遂げられるのだろうかという不安と、恐怖があるのはもちろんのこと、あたしも風の裸を見るのは初めてだから。
 他人の全裸というのは、目を背けたくなってしまうような独特の生々しさがある。同性に対してもそう感じる。自分と同じ種類の生き物であるはずなのに、自分とは違う曲線、筋肉のつき方、骨格の生き物が存在するということを眼前に突きつけられると、ある種の奇妙な感じを受ける。あたしの全裸も、他人にとっては奇妙なのだろう。
 ひとりからふたりになって、浴室の密度がぐっと増した気がする。風の身長が180センチ以上あるのも大きいと思う。息苦しくて、でも、それは嫌な感じじゃない。あたし達、二人きりだ。改めて実感する。風が身体を洗う、湿った肌と肌がこすれあう音を聞きながら、どきどきする。男の子って、どういうふうに身体を洗うんだろう。つかさと一緒に入ってたのはもう10年以上も前のことでよく覚えていないし、まるきりの子供と16、7の男の子とではまた違うのだろう。少しだけ振り向いて見てみたいけれど、お互いに恥ずかしいし我慢することにする。
 やがてシャワーの音はやみ、背後で大きく身体の動く気配がする。あたしは自分の脛をぎゅっと握り締める。
 ふたり入っても少し余裕がありそうな浴槽の、あたしのすぐ隣に太い毛の生えた足が片方入ってきて、水位が上がる。もう片方入って、更に上がる。
 視界の端に、赤くたちあがったものが目立って見える。肌色の全身の中で、そこだけが不自然に赤黒い。男の子の身体って、不思議だなと思う。
「つばさ……」
 風は立ったままお湯に身を沈めずに、あたしを呼んだ。
 意を決して、そろそろと彼のほうに身を向ける。――そして、言葉を失う。
 一昨年、風が学校内で何者かに切りつけられたという事件をHRでおおざっぱに説明されて、噂話で「全身を切りつけられた」というのを聞いても、せいぜい2〜3箇所ぐらいの傷なのだと漠然と思っていた。あたしのせいで苛められるようになったあの何だか弱々しい薄汚い感じの(彼がちょっとした病気をした時にあたしが持ち始めた勝手な印象、偏見に過ぎないと今ではわかる)男子がそんな災難に遭ってばつが悪い、でもそれより犯人は捕まってないの、怖いじゃない、あたしにも危害が及ぶかも知れないじゃない。それぐらいしか、感じなかった。春になって復学してきた姿を見ても、うわあ、顔を切られるなんて悲惨ね、係わり合いになりたくないわと横目で忌避していた。久世さんのように彼に寄り添って入れ込んで、自分の秩序を乱すなんてこと、微塵も思いつきもしなかった。当たり前だ、あたしは彼のことが嫌いだったのだから。
 その、徹底的にないがしろにし、目をそらしてきた相手が、今目の前にいる。
 風の身体は、本当に、傷だらけだった。まるで子供の落書きのように、執拗に何度も何度も切りつけられた痕。悪意の刻み込まれた胸、腕、腹。見えないけれど、きっと背中も。その中で――ひときわ新しくて、ひときわ酷い傷痕が、わき腹にあった。
 あたしが呆然としている、その理由が自分の傷跡にあることに風は気づいたのか、慌てて浴槽に身を沈めた。お湯が溢れ出す。
「ごめん、驚かせて――」
 悲しげに表情を歪ませて、あたしの頬を撫でた。あたしはまた、いつの間にか涙をこぼしていた。お湯に沈んでゆらめく彼の身体に視線を落とす。ぽろぽろと熱いものが頬を次々走っていく。
「こ、これ、そんな大した傷じゃないんだ。……あのひとは、僕を殺そうというよりも、痛がっているのを見て楽しみたかったみたいだから、そこまで深くないんだ。もう痛みもないし、ちょっと引きつれるだけだから、大丈夫だよ」
「……でも、この傷は――――」
 涙声で言い、お湯の中で、わき腹の大きな傷に手をかざす。そして、しゃくり上げてしまう。
 にわとりが鳴いたあの日、調理室で彼に抱きしめられたことを思い出す。彼から流れる鮮血は、あたしのエプロンも赤く染めた。「こんなところで言うのもなんだけど、きみのことが好きだ」。そう言って、このひとは、痛みに顔を歪ませながら微笑んだ。
 風は少し黙ったあと、優しくあたしを抱きしめた。硬くて厚くて暖かい、濡れた胸板に身体が押し付けられる。耳にそっと口付けられる。
「この傷は、僕の誇りだよ」
「――――」
 少し、嬉しそうに、
「この傷だけは。つばさを護れたっていうしるしだから」
 鼻先をつけて囁く。
 あたしは堪えきれず、みっともない声を出して泣いてしまった。彼の胸に抱きついて、わんわんと。その間じゅう、彼はずっとあたしの髪や背中をなぜてくれていた。

 あたしが落ち着くと、風はそっと身体を離した。涙目で彼を見つめると、優しく微笑んでいた。あたしは、こんなふうに微笑む男の子というのを見たことがない。綾人やクラスの男子はおかしさや嘲りを表す笑い方ばかりしていたし、つかさはそもそもあたしと同じでいつもムスッとした表情だし。女の子はともかく、男の子がこんな、こちらを安心させるような笑顔になれるなんて、思わなかった。あの優しそうなお祖母さんに育てられただけある。
「風……」
 ん? と小さく首をかしげる。
「……あたしの、からだも……みせる、ね」
 涙声で搾り出す。
 少し前までは出切る事なら見せたくないと思っていたのに、今は見せなければと思う。彼が傷跡をさらけ出してくれたことに、応えたい。
 風がうなずくと、あたしはゆっくりと、浴槽の中で立ち上がった。
 恥ずかしさに目を閉じて、最初は乳房と性器を手で隠してしまった。でもすぐにこれじゃいけないと思い直し、それぞれの両手を鎖骨の上に移動させた。
 真っ暗な視界。余計に、水滴の音と、吐息が鮮明に聞こえる。風はどんな顔で、あたしを見ているのだろう。自分の心臓が脈打っているのがはっきり伝わってくる。
「……あ、あんまり……いいからだじゃ、ないけど……」
 緊張しすぎて、身体ががくがく震えている気がする。
 風の部屋で、「つばさの胸、好きだよ」「このくらいがいいよ」と言ってもらえたのに、また、卑屈な気持ちが湧き上がる。ぽろぽろ涙がこぼれる。
 ごめんね、風。ごめんなさい。
「……くぜさんとか、こうさかさんみたいに……女らしいからだじゃなくて、ごめ……」
「バカ」
 急に、頭をガンと殴られたような感じがして、思わず目を開ける。
 風が、あたしに、バカって言った。
 あたしから風へは散々言ってきたくせに、逆は一度も無かったものだから、不当なことをされたかのように、思わぬショックを受けてしまった。
「ばっ、ばかとは何よ――――」
 抗議しかけて彼の表情を見下ろすと、何と言うか、物凄い表情をしていた。
 熱に浮かされたまま、もどかしく苛立っている、ような。切ない欲情と苛立ちが、混然となった目線で、あたしを睨んでいる。
「また、その二人の名前を出す」
「だ、だって……」
 狼狽を隠しきれずにまごつくと、風はいきなり立ち上がり、あたしの肩をつかんだ。
「どうしてそう自分を卑下するんだよ。つばさは、最高だよ」
 正面から言って、片手であたしの手を取る。
 何をするのかと思えば、ぐいっと下に引っ張って、自分のものを触らせた。手のひらに、硬く濡れた亀頭が押し当てられる。
「こんなになってるのに。どうしてわかってくれないんだよ。僕にとって、つばさは最高なんだ」
 最高最高と繰り返されて、これまでに無い強引さで手のひらにぐりぐりと性器をこすり付けられて、あたしはあわわわと動揺する。口がぱくぱくと動き、顔が真っ赤になっているのがわかる。細かくお湯が揺れ、手のひらがぬるぬると滑る。
「わ、わかった、わかったからっ……!」
 慌てて言うと、風はやっと手を離した。顔を見上げると、まだ、熱に浮かされながら機嫌を悪くしたみたいな表情をしている。じっと見ていると、ふっと、表情をゆるめた。そして切なげに、
「綺麗だ」
と言った。
 理屈も何もかもすっ飛ばした全肯定。
 全身が、細胞一つ一つが恋に落ちたみたいにきゅんとする。
 また、嬉しさをうまく抱え切れなくて、持て余してしまう。
 そんなはち切れそうなあたしの想いを知ってか知らずか、風は身をかがめてあたしに目線を合わせ、深くキスをした。


 くちゅくちゅと、浴室に小さな水音が響く。
 どこまでも真剣で、どこまでも浮ついたキスが終わると、あたしは浴槽に膝立ちになった。
 そして、キスの下で一人寂しく張り詰めていたソレを、目の前にする。風はあたしが何をしようとしているのかを悟って、ごくりと喉をならす。
 今まで何度もしてきたけど、今日は、今までに無いくらい、最高に想いを込めて。
 あたしを最高と言ってくれたひとを、最高に気持ちよくしてあげたい。
 祈るように目を閉じてから、
 ――好き。
 声に出せずに唱えて、目を開ける。黒々として濃い茂みからむっくりと生え上がっている、何本もの細い筋の浮き上がった肉の棒の先端、亀頭の平べったい部分に、ちゅっと口づけた。
 瞬間、それがびくんと跳ね上がる。
 付け根のほうをそっと支え持ち、段差を責めるように舌先でぺろぺろと舐める。風が気持ちよくなるポイントは知ってる。そこを重点的に舐める。
「あっ……つばさ……」
 お湯の中で仁王立ちになった風が、少し上擦った声で喘ぐ。
 先端から、しょっぱいものがしみ出してきて、舌先に到達する。棒状の部分を軽く扱きながら、先端も猫のように舐める。小さな切れ目があるのが、舌に伝わってくる。
 風が息を荒くしている気配を感じながら、亀頭全体をちゅるっと口にふくむ。不思議に歪んだ丸みを持ち、つるつるしたそれを、しゃぶる。先走りの液はしょっぱいのだけど、それ以外は、いつもと違ってお湯の味がする。でも暫く舐めていると、風の肌の味がしてくる。
「あ……はあっ……」
 喘ぎながら、意志がうまく伝わらない手で、あたしの頭を緩慢に撫でる。
 気持ちよくなってくれてる。嬉しい。
 好き、って伝わってるかな。好きよ。風。
 ちゅぱちゅぱと音を立てて彼のものにしゃぶりつきながら、好き、好きと唱える。
 そのままぐっと、喉の奥まですべてを収める。口全体で、大きさを確かめる。少し顎がつらいけれど、いけそうだ。何度か頭を動かし、口をスライドさせる。
「うっ……ぐ」
 言わないけれど、あたしはこれが苦手だった。風は気持ちいい、上手だって言ってくれるけど、それでも。舐めるのはともかく、口に含んで頭を振るのは、うまく出来ている気がしない。この動きをするのが精一杯で、工夫ができない。歯を当てないように注意しているぐらいだ。
 でも、今日こそは成長したい。彼のものを口にくわえたまま、ぼんやりと考える。
 綾人がかつてバキュームなんとかとか言うのをやらせようとした記憶はどっかに放り投げて。それ以外で、何か新しい感触。そうだ、スライドさせてる間はどうも舌の位置があやふやというかお留守になってしまっている感があるけど、何とか舌も使えないかな。
 そう思って、ぐぐっと、下の歯に覆いかぶさるように舌を乗せる。頭の動きが止まり、でも口の中で何かがお引越しをして狭くなった感じに、風は「つばさ……?」と戸惑った声を出す。
 舌の位置を定めて、そのまま、ゆっくりと頭を動かし始める。途端に、驚いたような声が上がる。
「つ、あ……っ、つばさっ……それ……」
 スライドしながら、舌の表面で強く舐め上げ、舐め下ろす。繰り返し、何度も何度も。
 どうかな。気持ちいい? 声に出せずに、鼻で息をしながら風を見上げると、こくこくと必死で頷いた。……びっくりした、テレパシーみたいに伝わっていた。
 再びあたしは、舌を固定したまま頭を前後に動かし始めた。入れたときに大きかったものが更に大きく硬くなっていくのを感じる。じゅぷっ、じゅぷっといやらしい音が続き、お湯がぱちゃぱちゃと揺れる。
 風を気持ちよくできて嬉しい。好きな人に気持ちよくなってもらえて、嬉しい。息苦しいのも、顎の疲れも気にならない。
 好き。大好き。大好きなの。  綾人にする時は憂鬱でしかなかったフェラチオが、こんなにも幸せなんて。ずっとしてあげたい。
 大好きよ、風。あたしにだって、最高の男の子なの。あたしにとって、優しくて、不器用で、かっこよくて、かわいい、最高のひと。好き、好き、好き、好き――――
「んっ……んっ……んうう……」
 気持ちが抑えきれずに甘いうなり声を漏らしながら、口全体と喉の奥で、破裂しそうな彼のものを一心にしゃぶり立てる。
 見上げると、風はこれまでに無かった快感に圧倒されるようにはーはーと息をし、あたしの髪をわしゃわしゃとかきむしった。もう、優しく撫でている余裕も無いみたいだ。
「……つ、ばさ……もう、ぼく、もう……」
 ――いいよ、いつでも。
また、テレパシーを送ってみる。
 ――好きなだけ出して。
 とても微笑める状況じゃないのだけど、彼に向かって、精いっぱい微笑んでみる。
 と、次の瞬間、
「うっ――――」
 びくんと大きく脈打ち、そして、爆ぜた。
 鉄砲水みたいな勢いの暖かい液が、口内に撃たれていく。
 あたしは目を閉じて受け入れる。落ち着いて、落ち着いて。これまでの経験上、慌てるとえづいたりむせたりしてしまうから。
「う……おおっ……おっ……お、あぁ……」
 風は自分で気づいているのかどうなのか知らないけど、スライドしてる最中はあーあーうーうー言ってるのに、射精のときにはおの音に変わるのよね。そんなところも、何故だかかわいい。苦くてしょっぱいものをどんどん口内に放出され、その甘い衝撃にうっとりしながら、そんなことを思う。
 生暖かいものが、口の中に溜まっていく。
 ふと、気づく。これまで部屋でフェラチオをしていた時は、口内射精が終わるとティッシュに出していたけれど、ここは浴室だ。ティッシュなんて無い。どうしよう――
 彼を見上げる。なんて、気持ちよさそうな腑抜けた顔だろう。思った瞬間、自然と、喉が動いた。
 卑猥なものを口に含んだまま、ごくん、ごくんと飲み下した。彼が目を見開いた。
「……つ、つばさっ……!」
 うん。飲める。
 飲むのが自然という味や飲み心地では到底無いけれど、飲めないほどではない。
 風のだもの。美味しい。
 一通り飲むと、口を亀頭だけ含むぐらいまで移動させ、あたしの唾液で濡れた竿を手で少し扱いた。すると、残りがぴゅっぴゅとかわいく放出された。それもあたしはこくんと飲み込む。
 そこでようやく、口を離した。顎関節が鈍い痛みに襲われる。舌の奥に、今更生臭いものを感じる。でも、不思議な達成感、満足感でいっぱいだった。風をいっぱい気持ちよくできた。ぷはぁ、と息を吸い込む。
「つばさ……」
 半ば唖然として、あたしを見下ろす。
「飲ん……だの……?」
 あたしは、今の今まで心の中で好き好き言ってたくせに、
「――どうってことない」
 涙目で、強がってしまう。我ながらかわいくない。
 すると風は凄い勢いで身をかがめ、あたしの肩を掴み、遮二無二キスをしてきた。お湯が大きく揺れ、水柱が立つ。
「んむっ……」
 唇をこじ開けられ、舌を突っ込まれる。口内を舐め回される。上顎の裏を舐められ、かゆいようなくすぐったいような感覚に肌が粟立つ。
「ん……う……」
 あたしは暫くされるがままになっていたが、やがて、風の舌の動きは段々と緩慢になってきた。そして、唇を離す。
 再び息を整えていると、風はあたしの肩に手を置いたまま、がっくりとうなだれた。
「……風……? どうしたの?」
「…………ごめん、つばさ。……こんなに、不味いモノ……」
「…………」
 まずい?
 きょとん、としてしまう。
 まさか風は、あたしが精液を飲み込んだことが心配で、あたしに舌を入れてその味を確かめたのだろうか。そしてその味に、ショックを受けているのだろうか。
「ばか。大丈夫よ」
 言うと、風は顔を上げた。情けない顔。
「でもつばさ、前に、飲むなんて有り得ないみたいなこと言ってた……」
「よ、よく覚えてるわね」
「ごめん……」
「何で謝るのよ、あたしが勝手に飲んだのに」
 そう言っても、風は物凄く申し訳なさそうな顔をしている。ああ、もう。目を伏せて頭を振ってしまう。
「あ、あたしが飲みたかったの。今日はそういう気分だったの。こんなこと言わせないでよ、バカ」
 と、伝えたところで、視界がぐるんと周り、あたしはバスタブに頭をぶつけた。
 ……そりゃ、のぼせるわよね。熱いお湯に浸かったまま満足に息も出来ない状態であんなに頭振ってたら。
「つばさ、つばさ!」
 真っ暗な視界。ばしゃばしゃと音がする。
 魔法みたいに、身体がふわっと浮く。
 あ、あたし、お姫様だっこされてる。風のたくましい腕に抱き上げられているのを感じる。
 せっかく、大好きな王子様にお姫様だっこしてもらってるのに、意識が薄れていくのが無性にくやしかった。













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